ベトナム戦争にて、1965年9月18日に南ベトナムのアンケ周辺の戦闘で戦死した死体が散乱した。中部高原地帯のアンケで、アメリカ軍と北ベトナムの解放戦線が激突した。アメリカ軍兵士約200人が戦死して、10月10日から14日までに約363人が戦死して、10月27日には約583人が戦傷して、10月30日から11月18日で約1,700人が戦死した。
アンケの周辺の散乱した死体には、アメリカ軍兵士だけでなく、北ベトナムの解放戦線の兵士も含まれていた。ベトナム戦争までは、軍隊に所属したカメラマンのみが、戦死した死体の撮影は許可された。ベトナム戦争になってから、軍隊のカメラマンだけなく、民間のカメラマンにも撮影が許可された。ベトナム戦争では、戦死した死体の公開には全く制限がなかった。
第1次世界大戦から太平洋戦争等まで、全ての戦争が終結するまでは戦死あるいは虐殺の写真は厳重に秘蔵されて不許可となった。朝鮮戦争になって、初めて戦死あるいは虐殺の死体が公開された。しかし、1960年代から戦死あるいは虐殺の公開は、戦闘における敗北であり、死者の冒涜と国民的な非難を受けた。それ以後も地球上で多数の戦争や紛争が勃発しているが、戦死や虐殺の死体の公開は漸減した。人間として最も悲惨で、隠したい悪、不正義な倫理と道徳などに蓋をして自覚することを避けた。日本平和の市民連盟は、悲惨な戦争を繰り返さないために、思い出の戦争の真実を直視して市民に公開している。