エルサルバトルの首都であるサンサルバドルにて、1979年11月に反政府デモ後に市街戦勃発した。政府勢力の警察により殺害された多数の男性の死体が、聖ロザリオ教会内に散乱した。民衆が窓際から死体群を興味深く窓から覗いた。仲間を殺害された青年は、散乱した死体を目の前にして呆然と見守った。
国民抵抗運動のドゥアルテが1972年に大統領選挙で勝利するも、モリナ大佐の軍部が権力を握る。1977年にはロメロ将軍が大統領となり、抗議デモに発砲し約200人が殺害された。それに対して左派ゲリラ活動が活発になり、1980年にファラブンド=マルティ民族解放戦線(FMLN)ができた。1980年に左派ゲリラが蜂起して内戦が泥沼化した。軍部の状況を危惧したアメリカ大統領レーガンは、政府軍に軍事顧問団を送り、軍事・経済支援を開始した。極右勢力の国家警備隊のダビッソンが勢力を拡大し「死の部隊」のテロ組織を結成して、労働組合や左派指導者、カトリックの大司教らを殺害した。当時は首都サンサルバドルには殺害された反政府側の死体が町に放置され、悲惨な状態であった。
1992年に国際連合の仲介による和平が実現し、国際連合エルサルバドル監視団が活動を開始した。1994年には大統領選挙が行われ、親米派のARENA所属候補が当選、FLMNは第2党となった。新自由主義政策が採られた。2009年の大統領選挙ではFMLNのフネスが当選し、エルサルバドルでも左派政権が誕生した。