中国国民党の保安隊は、1948年2月に中国共産党のゲリラ指導者である42歳の丁西山の首を城壁に吊るす準備をした。保安隊はゲリラのリーダーであった丁西山の首を切り落として、城壁に吊るして公開した。丁西山など共産党ゲリラの死体の周りには無言の群衆が集まっていた。共産ゲリラ部隊の一部が捕らえられて銃殺されて、死体が上海の城壁の外の川の浜辺に公開された。国民党による中国共産党員の処刑を撮影した写真である。
1948年2月13日に中国人民解放軍は、蘇州・浙江国境地帯のゲリラ隊長の丁西山が60人以上のゲリラを率いて南下した。上海市奉賢県前橋の胡佳ドックに到達した時に、裏切り者の密告により国民党軍に包囲された。丁西山大尉が率いる共産党率いるゲリラ部隊は、上海の松江県庁所在地への武力攻撃に失敗した。ゲリラは捕らえられて、主要メンバーは松江駐屯の保安隊によって死刑で殺害された。リーダーの丁西山は公衆の面前で斬首されて、頭部は城壁に吊るされて公開された。上海解放後に、丁西山の遺骨は上海龍華烈士墓地に埋葬された。
1927年に、中国国民党の蒋介石は党内掃討の名目でクーデターを起こして、共産党員を追い詰めて殺害し始めた。1940年7月15日には日本軍の傀儡の王景偉政権がクーデターを起こし、共産党との協力体制は完全に崩壊して、両者の長い内戦が始まった。1945年の日本軍に対する抵抗戦争終結後に、中国共産党と再び内戦状態に陥った。相互の敵対期間中に、国民党は何度も中国共産党員を逮捕し、公開処刑して殺害した。中国内戦の中国共産党革命で国民党に勝利した中国人民共和国の毛沢東は1949年10月1日、正式に中華人民共和国を宣言した。