ハノイ平和村には、ベトナム戦争にてアメリカ軍の枯葉剤散布の後遺症で、2008年に23歳の青年が、ベッド上で寝たきりとなった。全身の奇形と変形、神経障害、臓器障害などで完全な要介護状態となった。23歳のベトナム人の男性は死ぬまで一生を、枯葉剤による病気と障害を伴って過ごす。ベトナムの首都ハノイ郊外のタイスワン地区には、枯葉剤の被害者の治療施設であるハノイ平和村がある。入所希望者が殺到して、定員の約1,000倍にも達する。ベトナムは1975年にベトナム戦争が終結してから約15年経過した1990年頃からやっと枯葉剤の全国調査が開始された。
ベトナム戦争にて、アメリカ軍はベトナム中部から南部にかけて、非人道的な化学兵器となる膨大な枯葉剤を田畑地域や森林地帯に散布した。およそ約90,000キロリットル、散布面積は約2,400,000ヘクタールにも及んだ。1961年から1971年まで約10年間も散布された枯葉剤によって、植物だけでなく、生態系まで崩壊した。早朝に油の匂い嘔吐する枯葉剤の白煙を散布されると、夕方には植物はすべて枯れ落ちた。無差別な枯葉剤の散布によって、ベトナム人の被害者は約300万人にも達した。遺伝子にも異常な影響を受けて、胎児には先天異常である結合双生児、単眼児、無脳児などの重度の奇形なども伴った。
アメリカ軍が散布した枯葉剤の主成分はエージェント・オレンジの製造過程で、高濃度の猛毒のダイオキシンが混在する。ダイオキシンは、人類史上で最も毒性が強い合成化合物である。わずか約80gのダイオキシンで、約700万人を殺害される。わずか約10億分の1gでも先天異常や異常出産を誘発させる。ダイオキシンは簡単に分解されず、脂溶性で脂肪に残存する。食物連鎖により、小動物から大動物へと濃縮されて、体内に蓄積する。神経から臓器までも侵害して、悪性新生物の発症、遺伝子までも破壊されて子孫まで悪影響が出る。
枯葉在の被害者は、ベトナム人だけでなく、ベトナム戦争に従軍したアメリカ人、韓国人、台湾人、オーストラリア人らにも拡散した。アメリカの国内法では、戦争中の被害は国を訴えることが不可能である。1980年代に約16,000人のアメリカ軍帰還兵が、枯葉剤の被害補償を製薬メーカー7社に提訴した。1985年に裁判所が製薬会社に約1億8,000万ドルの和解金を提示して、責任の所在が不明瞭となった。ベトナム枯葉剤被害者の会は、2004年と2007年にニューヨーク連邦地裁に提訴したが、2005年3月と2009年にも却下された。