3/15/2026

This is the scene of an airstrike carried out by U.S. and Israeli forces on a school in Minab, southern Iran, on February 28, 2026. More than 100 Iraqi girls were killed. The hand of one of the girls who died was exposed amid the rubble.

 2026年2月28日にイラン南部のミナブの学校に対するアメリカ軍・イスラエル軍による空爆の跡である。100人以上のイラク人の女の子が死亡した。破壊された瓦礫から死亡した女の子の手が露出した。アメリカ軍とイスラエル軍によるイラン攻撃をめぐって、アメリカ国内とくにトランプ支持層(MAGA)の間で強い批判が起きている。

 2026年3月1日、アメリカ大統領のドナルド・トランプがイランへの軍事攻撃を実施した。この攻撃はイスラエルと共同で行われた。その際イラン南部ミナブの学校が攻撃されて、100人以上の子どもが死亡したと報じられた。この攻撃を「完全に嫌悪すべき邪悪な行為だ」と表現された。下院議員も激しく批判した。SNSで「有権者がイランとの戦争でどれだけの犠牲を受け入れるかを政府が調査しても、回答ゼロだ」と怒りを示した。トランプ陣営が掲げたアメリカ第一主義と外国での戦争を終結させる公約に反している。

 一方で、アメリカ政界の反応は分裂している。共和党の下院議員は、この攻撃は「アメリカ第一主義に反する」と批判した。共和党の上院議員や民主党の上院議員は、イランの核開発の脅威に対するトランプ政権の断固とした行動を支持しした。この攻撃は外交交渉の最中に行われた。イランの核開発問題は、オマーンの仲介で交渉が続いていた。前年のイスラエルとイランの12日間戦争でも、アメリカはすでにイランの核施設3カ所を攻撃していた。イラン攻撃がアメリカ国内の政治に深刻な分裂を生み出した。トランプが掲げてきた「戦争を避ける外交」と「アメリカ第一主義」が、今回の軍事行動によって大きく問われた。



3/14/2026

During World War I, the bodies of people who had been victims of German poison gas attacks lay scattered in the woods near Dunce, along the Meuse River in France. War, including the use of poison gas, is a crime against humanity.

 第一次世界大戦にて、ドイツ軍の毒ガス攻撃を受けた人々の死体が、フランス、ムーズ川沿いのダン近郊の森にて散乱した。毒ガス攻撃を含む戦争は人道に対する罪である。女性平和連合(WPU)は、第一次世界大戦がもたらした人的犠牲をアメリカ国民に想起させるため、1920年代にこのチラシを配布しました。

第一次世界大戦後に平和運動団体であるWomen's Peace Union(女性平和同盟)が発表した反戦の呼びかけであり、戦争を「人類に対する犯罪」であると強く訴える宣言文である。文章は、戦争の悲惨さを理解している人々に向けて、平和のために行動するよう呼びかけてい。

まず戦争によって苦しめられている人類の現実を直視する人々に語りかけている。特に第一次世界大戦では約1000万人の兵士が命を落としたことを思い起こさせ、戦争がいかに大きな犠牲をもたらしたかを強調している。そして、戦争を「栄光」などと美化する感傷的な見方を捨て、残酷な現実を直視する勇気を持つ人々に対して、この訴えを届けた。

休戦協定が結ばれてから8年が経ったにもかかわらず、世界では依然として戦争準備が続けられている現状を批判する。もし再び戦争が起これば、前回よりもさらに残酷な方法で多くの人々が殺されるだろうと警告する。そこでは「死の光線」「毒ガス」「病原菌」「より恐ろしい機械」などの新兵器が使われ、男性だけでなく女性や子どもまでもが無差別に殺されると述べ、未来の戦争がさらに破壊的になる可能性を示している。そして、愛する家族もまたその破壊から逃れることはできないと訴える。

戦争という「不必要な死と苦しみの黒い疫病」を世界から取り除くために、できる限りの力を尽くすべきではないかと読者に問いかける。そして具体的な行動として、平和運動団体である女性平和同盟へ寄付を送るよう呼びかけている。

最後にこの団体の基本理念が示される。それは「暴力と流血は原理的に常に誤りであり、実際にも破滅的な結果をもたらす」という信念である。彼女たちは戦争を法律によって違法なものにし、世界平和を実現することを目標として活動している。戦争の悲惨さを強く訴え、平和のための社会運動への参加を促す強い反戦メッセージとなっている。



3/10/2026

Below: Serbian victims of the reprisals by Austria after the assassination of Franz Ferdinand,

 1914年8月、第一次世界大戦の東部戦線でロシア軍はドイツ領東プロイセンに侵攻した。ロシア軍は、レンネンカンプ将軍率いる第1軍と、サムソノフ将軍率いる第2軍の二方面から攻撃を行い、ドイツ軍を挟撃する計画であった。これに対しドイツ軍第8軍は当初プリットヴィッツ将軍が指揮していたが、後にヒンデンブルクとルーデンドルフが指揮を引き継いだ。

ロシア軍は湿地や湖の多い東プロイセンの地形の中を進軍したが、補給は不十分で、兵士たちは疲労し半ば飢えた状態であった。それでもサムソノフ軍はドイツ軍のフランソワ軍団と激しい戦闘を4日間続けた。しかし8月27日、ドイツ軍のフォン・ベロウ軍団がサムソノフ軍の北側面を攻撃し、さらにマッケンゼン軍団が続いて包囲網を形成した。

自軍が包囲されつつあることに気づいたサムソノフは撤退を決意したが、ドイツ軍は強く追撃した。特に攻撃的な指揮官フランソワは前進を続け、8月30日、ロシア軍の二個軍団を行軍中に奇襲した。その結果、約6万人の兵士が捕虜となり、最終的には捕虜の総数はほぼ10万人に達した。大敗北に絶望したサムソノフ将軍は戦場で自殺した。

一方、レンネンカンプ率いる第1軍はタンネンベルクの危機でサムソノフ軍を十分支援できなかった。孤立したレンネンカンプはマズーリ湖周辺の防御線に部隊を配置し、ドイツ軍の反攻に備えた。ドイツ第8軍は1か月にわたる戦闘の疲労から攻撃の進みが遅れ、ロシア軍は右側面の包囲を防ぎながら戦った。最終的にロシア軍はニーメン川方面へ撤退したが、秩序ある退却で完全な壊滅は避けた。

その後のマズーリ湖の戦いはドイツ軍の勝利となり、東プロイセンからロシア軍をほぼ排除する結果となった。タンネンベルクほど劇的ではなかったが、この勝利によって東プロイセンは解放され、兵力では劣るドイツ軍が東部戦線で主導権を握ることとなった。また、この勝利によりヒンデンブルクは国民的英雄として称賛される存在となった。

一方ロシアにとっては大惨事であり、第2軍は事実上壊滅し、指揮官も戦死した。タンネンベルクの敗北はロシア軍に深刻な影響を与えた。





3/09/2026

According to the ministry's statement, Israeli forces entered the cemetery at dawn on Thursday, demolished graves with bulldozers, exhumed bodies, and removed the remains of martyrs and ordinary deceased individuals.

 2025年7月、パレスチナ自治区ガザの宗教施設や墓地を管理するGaza Endowments Ministryは、イスラエル軍が南部の都市Khan Younisで墓地を掘り返し、遺体を持ち去ったとして強く非難した。

同省の声明によれば、イスラエル軍は木曜日の夜明けに墓地へ侵入し、ブルドーザーで墓を破壊して遺体を掘り起こし、殉教者や一般の死者の遺体を持ち去ったという。声明は、この行為を「恐ろしい犯罪」であり、「宗教的・人道的価値や規範を露骨に踏みにじるものだ」と批判した。さらに、こうした行為は人間としての最低限の倫理や国際的価値を超えるものであり、「死者の尊厳と神聖さを踏みにじる蛮行」であると強く非難した。

また同省は、イスラエル軍がさまざまな「口実」を用いてガザ地区の墓地を組織的に破壊していると主張している。ガザには約60か所の墓地が存在するが、そのうち40か所が意図的に破壊されたとしている。

この事件は、2023年10月以降続くガザでの戦闘の中で報告された出来事の一つである。イスラエル軍による攻撃により、これまでに約5万7800人のパレスチナ人が死亡したとされ、その多くは女性や子どもだと報告されている。継続的な空爆と軍事行動によりガザ地区の都市やインフラは深刻な被害を受け、住民の生活環境は著しく悪化している。食料不足も深刻化しており、一部では飢餓に近い状況が生じていると指摘されている。

こうした状況の中で、墓地の破壊や遺体の扱いをめぐる問題は、戦争における人道的規範や宗教的価値の観点から強い批判を呼んでおり、地域の緊張と国際社会の懸念をさらに高めている。



3/08/2026

This report details the military situation and humanitarian crisis during the initial stages of Russia's 2022 invasion of Ukraine. Sixteen days after the invasion began, Russian forces continue to attack civilian areas in cities across the country while gradually advancing toward the capital, Kyiv.

2022年ロシアのウクライナ侵攻の初期段階における戦況と人道危機を報じている。ロシア軍は侵攻開始から16日後、首都キーウ(キエフ)へ徐々に接近しながら、各地の都市で民間地域への攻撃を続けている。国際社会は「想像を絶する悲劇」が迫っていると警告しており、国際連合などはロシア軍が戦争犯罪を犯している可能性を指摘している。

   特に南部の港湾都市マリウポリではロシア軍による包囲が続き、12日間の攻撃で1500人以上が死亡したと地元当局が発表した。街は水道や暖房が止まり、食料も不足している。極寒の中で市民は脱出を試みているが、多くの人々が取り残されており、国境なき医師団は「数十万人が実質的に包囲されている」と述べている。街路には埋葬されない遺体が残るなど、状況は極めて悲惨である。

    ウクライナの大統領ウォロディミル・ゼレンスキーは、NATOに軍事介入を求めているが、米国大統領ジョー・バイデンは、核保有国ロシアとの直接衝突は「第三次世界大戦」を招くとして軍事介入を拒否した。その代わり米国と欧州連合はロシアへの経済制裁を強化し、通常貿易関係を停止し、ウォッカ・海産物・ダイヤモンドなどロシア産品の輸入禁止や高級品の輸出停止を決定した。

    戦争の影響で避難民は急増し、約250万人が国外へ逃れ、国内でも約200万人が避難生活を余儀なくされている。第二の都市ハルキウや工業都市ドニプロでもミサイル攻撃により住宅や幼稚園などの民間施設が破壊され、子どもを含む多くの市民が被害を受けている。





 

A bag packed with explosives was placed at the scene and may have been detonated remotely. The sudden explosion caused panic among the crowd, leading to widespread chaos as people fled in confusion. The death toll was initially reported as over 100 but was later revised to 84.

2024年1月3日、イラン南東部ケルマンで、革命防衛隊の司令官であったカセム・ソレイマニの命日を追悼する式典の最中に二重爆発が発生し、少なくとも84人が死亡、200人以上が負傷した。ソレイマニは2020年に、イラクのバグダッドでアメリカ軍のドローン攻撃により殺害されており、この日はその4回目の追悼行事で、多くの支持者が墓地周辺に集まっていた。

 爆発はソレイマニの故郷ケルマンのサヘブ・アルザマン・モスク近くの殉教者墓地付近で、約15分の間隔をあけて2回起きた。最初の爆発は墓から約700メートル、2回目は約1キロ離れた場所で発生したとされる。イランの報道によれば、爆弾を詰めたバッグが設置され、遠隔操作で起爆された可能性がある。現場では突然の爆発により群衆がパニックに陥り、逃げ惑う混乱が広がった。死者数は当初100人以上と報じられたが、その後84人に修正された。

 イラン政府はこの事件をテロ攻撃と断定し、最高指導者のアリー・ハメネイは「邪悪で犯罪的な敵」が関与しているとして厳しい報復を誓った。大統領のエブラヒム・ライシも事件を強く非難し、予定していたトルコ訪問を中止したうえで、翌日を国民追悼の日に指定した。イラン側は背後に米国とイスラエルがいると主張した。

 しかしアメリカは関与を明確に否定し、国務省報道官は米国も同盟国イスラエルも関係していないと述べた。イスラエルも公式なコメントは控え、軍報道官は現在はハマスとの戦闘に集中していると説明した。

  事件は、ガザ地区で続くイスラエルとハマスの戦闘や、前日にレバノンでハマス幹部が殺害されたことなど、中東情勢が緊張する中で発生した。事件後、ケルマンでは群衆が再び集まり「イスラエルに死を」「アメリカに死を」と叫びながら抗議した。テヘランでも数千人が集まり追悼集会が開かれた。

  国際社会からも非難が相次ぎ、アントニオ・グテーレス国連事務総長や欧州連合(EU)は強く批判し、EUの外交安全保障上級代表であるホセップ・ボレルはイラン外相に哀悼の意を伝えた。さらにロシアのウラジーミル・プーチン大統領も、平和的に墓地を訪れていた人々を殺害した残虐な行為だとして非難した。ハマスやサウジアラビアなども事件を批判し、多くの国が犠牲者への哀悼とイラン国民への連帯を表明した。





  

3/04/2026

The remains of a U.S. Army officer, who had been killed in action, were transported after being recovered from the rubble of a U.S. Army bachelor officers' quarters in Saigon that had come under attack by Viet Cong forces during the 1968 Tet Offensive.

戦死したアメリカ軍の戦友が、1968年のテト攻勢中に、サイゴンでベトコンの攻撃を受けたアメリカ軍の独身将校宿舎の瓦礫から掘り出されたアメリカ軍将校の遺体が搬送された。

 1968年のベトナム戦争はテト攻勢により決定的な転換点を迎えた。旧正月(テト)の休戦を破って敢行された共産側による一斉攻勢であるテト攻勢は、軍事的な勝敗を超えて、アメリカ国内の世論とアメリカ軍の士気に傷跡を残しました。サイゴンのアメリカ軍独身将校宿舎(BOQ)における被害とアメリカ軍将校の遺体搬送は、戦線が消滅して、安全なはずの後方が地獄に化した混沌を象徴した。

 1968年1月31日未明のテト攻勢の衝撃により、北ベトナム軍(NVA)と南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は、南ベトナム全土の主要都市や軍事施設を同時多発的に襲撃した。勝利は間近であるアメリカ軍上層部の報告を信じていたアメリカ国民にとって、首都サイゴンの中心部、さらにはアメリカ大使館までもが戦場となった衝撃を与えた。

 特にサイゴン市内に点在していた独身将校宿舎(BOQ: Bachelor Officers Quarters)や軍事宿泊施設は、ベトコンの都市ゲリラにとって絶好の標的となった。前線から離れ、休息や事務作業に従事した兵士たちは、突如として瓦礫の下に閉じ込められ、不意打ちを受けた。サイゴン市内の将校宿舎(BOQ)への攻撃は、多くの場合、爆薬を満載した車両の突撃や、近隣の建物からのロケット砲(B-40)による狙い撃ちされた。宿舎は要塞ではなく、居住施設であった。瓦礫の中から戦友を掘り出すアメリカ軍兵士は、敵への怒り以上に、安全が崩れ去った困惑と、仲間を失った深い喪失感が刻まれた。建物が密集する市街戦のサイゴンでの戦闘は、敵味方が入り乱れる混戦となった。瓦礫から掘り出される遺体は、戦線となった。

 遺体の帰還がメディアを通じてアメリカ米本土の報じられた。アメリカ軍は軍事的にはテト攻勢を撃退し、共産側に甚大な損害を与えた。宿舎の瓦礫から運び出されるアメリカ軍兵士の遺体、見守る戦友たちの映像や写真は、衝撃を与えた。

 失われた戦友は、第二次世界大戦以来の「正義の軍隊」とアメリカ軍の無敵性の喪失を示唆した。1968年のテト攻勢におけるBOQの悲劇は、現代の非対称戦争における「後方支援施設の脆弱性」を先取りした事例でもある。瓦礫の中から搬送される遺体は、兵士一人ひとりの命の喪失と、戦争の残酷な真理を提示した。